木村多江の生い立ちがヤバすぎる?金持ちから転落したお嬢様って本当?

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幸薄い女性の演技が評判を呼び、一躍有名になった木村多江さん。

現在では個性的なキャラクターを怪演するカメレオン女優としても知られています。

そんな木村多江さんの生い立ちが衝撃的であり、女優としての演技にも影響しているというのは本当でしょうか?

この記事では、木村多江さんの演技にも影響を与えていると言われる生い立ちについて深堀りしました。

目次

木村多江の生い立ちがヤバすぎる?

演技力に定評があり、難しい役でも怪演する女優の木村多江さん。

木村多江さんは1971年に東京都江東区門前仲町生まれ。

父・母・弟・木村多江さんの4人家族で育ちました。

木村多江さんは2歳半までは、父の仕事の影響でシンガポールで暮らしています。

帰国後も東京で暮らし、小中高校はお嬢様学校と呼ばれる白百合学園に通っていました。

また、6歳からクラシックバレエを習うなど、学校の勉強以外に習い事もしていたようです。

木村多江さんが幼い頃は木登りをして遊ぶなど、おてんばな性格でした。

また、家族を笑わせることが好きだったこともあり、弟と漫才を披露することも。

木村多江さんの漫才、とても見てみたいですね!

中学生の時には演劇部に入り活動しています。

この頃から人前で何かを披露し、喜んでもらうことが好きだったのかもしれないですね。

そんな木村多江さんですが、両親からは「学校ではいいこでいなさい」と言われて育ちました。

その影響もあり、授業中に発言することやカメラの前で笑うことが苦手に。

今の木村多江さんからは想像がつかないですね。

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女優を目指すきっかけは樹木希林の演技!

女優を志すきっかけは、高校生の頃に見た樹木希林さん主演ドラマ「台所の聖女」を見たこと。

このドラマを見て感動し、女優を目指すようになったのだそうです。

また、音楽プロデューサーだった叔父の影響もあり、ミュージカルに興味があった木村多江さん。

白百合学園高等部を卒業後は大学に進学せず、昭和音楽芸術学院ミュージカル科に進学しました。

19歳から舞台女優としての活動をはじめます。

昭和音楽芸術学院在学中にはミュージカル「美少女戦士セーラームーン」に適役のフィッシュアイとして出演するなど、活躍していました。

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父の反対を押し切って女優の道へ

木村多江さんが女優を目指すことにお父さんは大反対。

木村多江さんはレッスン費用などを捻出するためにアルバイトをしながら芸の道に進みます。 

深夜に帰宅することもあったため、両親はとても心配していました。

そんななか、木村多江さんが21歳のときに49歳の若さでお父さんが急逝

生活が激変するなか、芝居の道も諦めずに努力を続けました。

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木村多江のブレイクは山村貞子役!

木村多江さんのブレイクは、1999年のドラマ「リング~最終章~」「らせん」山村貞子役です。

その後も数々の作品に出演。

・ドラマ「白い巨塔」 癌が全身に転移して死亡する役
・映画「ゼロの焦点」 売春婦の過去を持つ未亡人役
・映画「沈まぬ太陽」 飛行機事故で夫を亡くしアルコール依存症に陥る女性役  
など

幸薄い役を演じる姿が評判となり「日本一不幸役が似合う女優」としての地位を確立しました。

その後も活躍し続け、

・あなたには帰る家がある
・あなたの番です
・阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし
・やんごとなき一族

などに出演。

ときには狂気的な役柄を熱演するカメレオン女優としても注目を集めています。

そんななか、2005年には電通幹部社員である鈴木文彦さんと結婚

2008年には長女を出産しました。

波乱万丈な生い立ちの木村多江さん。

現在は仕事もプライベートも順調であることがわかります。

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木村多江は金持ちから転落したお嬢様って本当?

木村多江さんのお父さんは海外で活躍する営業マンであり、年収は1,000万円以上だったのではないか?と推測できます。

また、木村多江さんが幼少期から、

・クラシックバレエを習っていた
・御三家と言われるお嬢様学校、白百合学園に小学校~高校卒業まで通っていた

といったことからも、木村多江さんの実家が裕福であり、多江さんご自身がお嬢様として育っていたことが推測できます。

・白百合学園
礼儀作法や女性らしさを大切にしているお嬢様学校
小学校入学時だけで入学金や授業料等を合わせて120万円ほどかかり、高校卒業までに総額1,000万円以上は必要
・バレエの習い事
バレエのレッスン料のほか、練習や発表会で使う衣装代、メイク費用などがかかる
発表会へ参加する場合、衣装代等を含めて一度に10万円ほどかかることも珍しくない

裕福な家庭でしたが、木村多江さんが21歳のときに父が49歳の若さで急逝。 

その後、生活が一変しました。

木村多江さんは一家の大黒柱であったお父さんに代わりに家族を支えることに。

弟の学費や生活費を捻出するために4つのアルバイトを掛け持ちすることもあり、睡眠時間が1日1~2時間しかなかったことも。

経済的な余裕が無くなり、とても苦労されたことがわかります。

また、父が急逝したのは自分が父にストレスを与えたせいだと責め続け、つらい日々を過ごしていた木村多江さん。

21歳の時、突然父が過労で亡くなって、生きる気力を失くしてしまったんです。

娘の私が心配をかけたせいだと自分を責め、お芝居することが唯一の罪滅ぼしだと思ってひたすら仕事に打ち込んでいました。

でも当時の私は自分も、自分の芝居も好きになれず、人と関わるのも避けていました

引用:クロワッサンONLINE

しかし、時間が経ってから「父は私が幸せになることを望んでいるのではないか?」と感じるように。

その後は自分を許せるようになり、気持ちも楽になったのだといいます。

裕福な状態から一気に転落してしまう、といった時期を乗り越えた木村多江さん。

お芝居に深みがあるのは、木村多江さんの波乱万丈な生い立ちが芸に深みを与えているからかもしれないですね。

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